麒麟がくる23話「義輝、夏の終わりに」はまたも延期となりました。台風の影響では仕方ないですがとにかく延び延びになるドラマです(^_^;)ということはさておき、将軍足利義輝様が大変なことになっています!義輝役の向井理さんのファンの方達のため息 2020-02-21 / 2020-09-22. 怒涛の如くに展開する『麒麟がくる』後半戦。今週は将軍足利義輝(演・向井理)殺害という一大事変が描かれた。相変わらず東奔西走する明智光秀(演・長谷川博己)だが、将軍候補を巡って身もふたもない発言をしてしまう。光秀、大丈夫なのか?, 編集者A(以下A): 鎌倉、室町、江戸の各幕府で征夷大将軍は39人を数えます。その中で、現職で殺害された将軍が3名もいます。鎌倉幕府第3代将軍源実朝(みなもとの・さねとも)に室町幕府第6代足利義教と第13代足利義輝です。, ライターI(以下I):鎌倉幕府第2代源頼家は、実朝に将軍位を譲った後に暗殺されているので除外しているのですね。その中で、今週の『麒麟がくる』では、第13代義輝(演・向井理)が殺害された永禄の変が描かれました。俗に剣豪将軍とも伝えられる義輝ですが、刀こそ握ったものの、意外とあっさりな最期でした。, A:〈戦戦兢兢、深き淵に臨むが如く、薄氷を履(ふ)むが如し〉――。最期を迎えるにあたって義輝が『詩経』小旻(しょうびん)の一節をそらんじていたのが印象的です。深い淵を覗いたり、薄氷を前にしたりしたときは行動が慎重になります。そうしたことを表していますが、『広辞苑』では、転じて〈危険に直面していること〉も表すようです。, I:義輝の最期は見る人によって印象が異なるのではないでしょうか。私は、これまで当欄が再三指摘してきた〈後半戦、尺が足りない問題〉の影響が出ていると見ました。せっかく向井理さんをキャスティングしたわけですから、もう少しじっくり描いて欲しかった。なぜ、最側近だった細川藤孝(演・眞島秀和)が義輝から離反したのか、義輝だけではなく、義輝の母(慶寿院)や弟(足利周暠/しゅうこう)まで殺されなければならなかったのか。松永久秀(演・吉田鋼太郎)が〈幕府の身内のものでさえ、義輝さまのご勝手ぶりにあきれ果てておる〉と言っていましたが、ドラマの中で己の力のなさに無気力にはなっていたものの、誅せられるほどの義輝専横の場面があったでしょうか。そこははっきりと残念だった部分として指摘せざるを得ません。, A:義輝の母は、近衛家出身で関白前久(演・本郷奏多)の叔母にあたる人物です。永禄の変は、京都が震撼する出来事でした。それだけにもっとじっくり描いてほしかったという気持ちはわかります。でも後半戦尺が足りないのはわかりきったことですから、こればっかりはしょうがないですね。ただ、多くの視聴者が期待しているドラマですから、そうした思いはどんどん主張してください。, I:(苦笑)。さて、 敬愛していた義輝が殺害されたことを知った光秀(演・長谷川博己)が激怒して大和の松永久秀を訪ねます。, A:『麒麟がくる』では、朝倉義景(演・ユースケ・サンタマリア)と光秀の関係がどうなっているのか曖昧な形になっていますが、義景は光秀の大和行きを許します。将軍の覚えもめでたい光秀の利用価値をはかっている感じですね。, I:義景の「使える刀かなまくらか」という台詞がありました。藤吉郎が初登場した際にも信長が「使えるぞ」と言っていました。それが〈戦国のリアル〉なのかもしれませんが悲しい台詞です。, A:〈使える家臣〉を多く抱えることが、戦国時代にお家を維持する指標だったと思います。そうしなければお家が滅びてしまいますから。まさに生きるか死ぬかの時代に、例え代々の重臣であっても〈使えない者〉は切り捨てざるを得ない。お家が傾いたら領国の民も人身売買されたりしますし、所領も野盗に襲われたりしますから。, I:確かに『麒麟がくる』第1話で人身売買と思われる縄をかけられた人々が描かれていました。〈使える家臣〉をどんどん抜擢して強くて大きな領国を築くことで、結果的に民も安心できるということになるのですかね。, A:今回注目したい場面がふたつありました。まず、義輝が殺害されたことに激怒した光秀が「都から追い出すだけじゃなかったのか」と松永久秀を詰問する場面です。, I: 久秀が「わしの読みが甘かった」と言い訳していました。火縄銃に火をつけた久秀が「これでわしを撃て」と……。『仁義なき戦い』かよ!と思いました(笑)。, A: まあ、戦国時代ですから仁義もへったくれもないわけですが(笑)……。光秀と久秀は若い頃からの知り合いという設定ですが、この段階で主従でも同僚でもない。光秀が久秀に意見するのは筋が通らぬわけです。ところが光秀は、わざわざ越前から大和に飛んでまで自分の思いに忠実であろうとする。猪突猛進で無鉄砲。決して、後先を考えた行動ではない。本能寺の変の動機がどう描かれるのか、その伏線になっているような気がする場面でした。, I: 同様の場面がもうひとつありました。甲賀の和田惟政邸で覚慶(後の足利義昭/演・滝藤賢一)と光秀が会いました。その後越前に戻った光秀は、朝倉義景から覚慶は将軍の器かということを問われます。, A:光秀の回答を聞いて、唖然としました。なんと身もふたもないことを言い出すのかと。, A:ほかに将軍候補が複数いるのならば、覚慶を否定する回答はありです。しかし義輝を討った三好一党が擁立を目論んでいた足利義栄に対抗できるのは、覚慶しかいない状況で「あのお方はいかがと思います」と言われても……。逆に光秀に「では、ほかに将軍候補はいますか?」と問いただしたくなりました(笑)。, I:義昭のことを〈まごうことなき足利の血。尊き血は我ら武士の誇り〉という台詞もありました。義輝亡きいま、覚慶しか将軍候補がいない中で、光秀の考えは甘いということでしょうか。あるいは光秀は〈空気が読めない〉設定なのでしょうか。いずれにしても光秀の馬鹿正直なまっすぐな性格が、光秀の運命を左右することになるのですかね?, A:そうかもしれません。現在〈京都伏魔殿編〉が進行中ですが、今回も関白近衛前久が、伊呂波太夫(演・尾野真千子)のもとを訪ねて、三好一党に足利義栄に将軍宣下がなされるよう帝に言上するよう脅されていることを吐露しています。, I:本当に京の公家社会は魑魅魍魎ですね。今後、馬鹿正直でまっすぐな光秀が翻弄されていくのかもしれません。, A:これまでの光秀の動向をみると、馬鹿正直にやっていると、足元を救われるということになるかもですね。例えば、前週に義輝の御内書を持参して信長のもとを訪ねた際に、藤吉郎(演・佐々木蔵之介)にやんわりと〈今ごろ来ても遅いよ〉と示唆されています。, I:特に怪しい人物である関白近衛前久は足利義昭と並んで後半戦の重要なキーマンです。京の公家は歴史的に、恫喝してくる相手にとりあえずなびくことが多い。まさしく伏魔殿。おそらく来年の『青天が衝く』でも再来年の『鎌倉殿と13人』でも同様の描写が出てくるでしょうから。比較するのが楽しみです。最終的に京都が捨てられることになる過程を見ることができますよね。, A:近衛前久や今後の足利義昭の動向を見ながら、そうした歴史にも思いを馳せるのも大河ドラマ鑑賞の楽しみのひとつかもしれません。, ●ライターI 月刊『サライ』ライター。2020年2月号の明智光秀特集の取材を担当。猫が好き。 ●編集者A 月刊『サライ』編集者。歴史作家・安部龍太郎氏の「半島をゆく」を担当。初めて通しで視聴した大河ドラマは『草燃える』(79年)。NHKオンデマンドで過去の大河ドラマを夜中に視聴するのが楽しみ。編集を担当した『明智光秀伝 本能寺の変に至る派閥力学』(藤田達生著)も好評発売中。 構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり, 最新記事のお知らせ、イベント、読者企画、豪華プレゼントなどへの応募情報をお届けします。, サライ最新号
現在「麒麟がくる」将軍・足利義輝役の向井理さんが関係者のインタビューを交え、足利義輝とは何者なのかを明らかに。. 足利義輝と言えば、永禄の変で三好氏の軍勢1万2千で御所を包囲されて死を覚悟し、将軍家伝来の刀を地面に突き刺して、敵を斬って刀がダメになると、次々と刀を変えて斬りまくり、恐れた敵方が畳(たたみ)を押し立てて義輝を抑え込んで槍で突き刺したという壮絶な最期が有名ですが、日本外史は文政十年(1827年)頼山陽(らいさんよう)により書かれたものであり、義輝が死んだ同時代の史料で、義輝が凄絶に戦い散ったとす … 伊勢貞興は、明智光秀の家臣として本能寺の変から山崎の戦いに参戦し、明智軍の一部隊を担い光秀とともに戦死しています。 若干知名度は低いのですが、歴史を動かした武将の一人であります。 伊勢貞興とはどのような武将 … 足利義輝は天文5年(1536年)3月10日、第12代将軍・足利義晴と慶寿院の嫡男として京都の東山南禅寺で誕生しました。 誕生して間もなく足利義輝は外祖父・近衛尚通の猶子となります。 この頃、父・足利義晴は管領・細川晴元と権威争いで対立関係でありました。 父・足利義晴が細川晴元と争いで負けると、足利義輝もともに近江国坂本へと逃れます。 その後、京都へ復帰するも、再び戦で負け現在の滋賀県である坂本や朽木に逃れました。 三好一派の襲撃を受けて長刀で応戦する将軍義輝(演・向井理)。 怒涛の如くに展開する『麒麟がくる』後半戦。今週は将軍足利義輝(演・向井理)殺害という一大事変が描かれた。相変わらず東奔西走する明智光秀(演・長谷川博己)だが、将軍候補を巡って身もふたもない発言をしてしまう。 足利 義輝(あしかが よしてる、1536年 3月31日〈天文5年3月10日〉- 1565年 6月17日〈永禄8年5月19日〉)は、室町時代後期(戦国時代)の室町幕府第13代征夷大将軍(在職:1546年〈天文15年〉- 1565年〈永禄8年〉)。 足利宗家第20代当主。 足利義輝の最期は?. (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 一般には剣豪将軍(けんごうしょうぐん)として知られる武闘派(ぶとうは)、足利義輝(あしかがよしてる)。, 「麒麟(きりん)がくる」でも、細川藤孝(ほそかわふじたか)と明智光秀(あけちみつひで)の小競(こぜ)り合いを止め、新兵器である鉄砲の量産を本能寺に命じる英明な君主として登場してきます。しかし、史実における足利義輝は、永禄(えいろく)の変で部下に討たれた悲劇性から判官(はんがん)びいきされ、かなり活躍が盛られた人物であったようです。, 足利義輝と言えば、永禄の変で三好氏の軍勢1万2千で御所を包囲されて死を覚悟し、将軍家伝来の刀を地面に突き刺して、敵を斬って刀がダメになると、次々と刀を変えて斬りまくり、恐れた敵方が畳(たたみ)を押し立てて義輝を抑え込んで槍で突き刺したという壮絶な最期が有名ですが、日本外史は文政十年(1827年)頼山陽(らいさんよう)により書かれたものであり、義輝が死んだ同時代の史料で、義輝が凄絶に戦い散ったとする記述はありません。, 逆に、永禄の変のその時、京都にいて一部始終(いちぶしじゅう)を見聞きして記録に残した人物がいます。それが宣教師、ルイス・フロイスで、彼の残したフロイス書簡には、足利義輝のリアルかつ、かなりみじめな最期が記録されているのです。, ※注意:フロイスの伝える足利義輝の最期は、みじめなので剣豪将軍のイメージを崩したくない人は、読まない事をおススメします。, 永禄八年(1565年)5月1日、将軍足利義輝は、1万二千人の兵を率いて上洛してきた三好義継(みよしよしつぐ)に面会し、左京大夫(さきょうだいふ)の地位と、「義」の偏諱(へんい)を与えました。この頃までは、表面上良好に見えた両者の関係ですが、義継が義輝に自邸(じてい)へ訪ねてくるように要請すると、大軍を擁(よう)している義継の態度を怪しんでこれを拒否しています。これに対し義継は、疑うならば将軍の生母である慶寿院(けいじゅいん)の屋敷でも構わないと譲歩(じょうほ)したので、義輝は渋々ながら受諾(じゅだく)しました。, しかし、5月18日、永禄の変の前日、足利義輝は御所(ごしょ)からの逃亡を実行します。フロイス書簡(しょかん)によると、理由は三好氏が謀反(むほん)を企(たくら)んでいる事を大いに恐れたためでした。もし、三好の軍勢に御所を包囲されれば対抗する力がないので、義輝は他国に逃れようと画策し、名目を偽り寵臣(ちょうしん)数名を率いて人目を忍びつつ御所を出ます。そして、御所から3キロばかり進んだ時点で、義輝は寵臣に京都を脱出する旨を打ち明けましたが、全員が脱出に反対します。, 理由は謀反の証拠も明らかではないのに、部下を恐れて逃げるようでは将軍の権威に関わり、かつ義輝は三好氏を害するような事は何もしていないので謀反などあり得ないというもので、万が一、謀反が起きれば、全員が責任を取り切腹すると断言しました。これにより、義輝はすごすごと御所に帰還(きかん)してしまうのです。しかし、この脱出未遂(みすい)は、逆に義輝に謀反を招き寄せてしまいます。, 翌日永禄八年5月19日は、平穏無事(へいおんぶじ)に始まります。三好義継は早朝、騎兵七十を率いて清水寺(きよみずでら)の参詣(さんけい)に向かいますが、途中で進路を変更して引き消し、洛外に待機させていた軍勢を率いて義輝の御所を包囲します。, フロイス書簡では、清水寺参詣は、謀反をカムフラージュしたものとしてますが、清水寺参詣がどうしてカムフラージュになるのか不明なので、そうではなく清水寺参詣の途中に、将軍義輝逃亡未遂の情報が三好義継の耳に入ったと考えられます。, ここで義輝に逃げられれば、また、義輝を担ぐ勢力と三好氏との抗争は避けられない事になります。これに激怒した三好氏は御所を包囲して、大量の鉄砲隊を突入させて銃口を御所に向け、義輝に落とし前を要求しました。, その落とし前とは、老臣の進士晴舎(しんしはるいえ)、そしてその娘で義輝の側室である小侍従(こじじゅう)、それに義輝の逃亡を唆(そそのか)したと考えられる寵臣を義輝が自ら処刑する事でした。それさえ実行するなら、大人しく軍を引き上げると三好義継は約束します。しかし、要求を聞いた進士晴舎は主君の御所を包囲した三好氏を大いに批判し、要求をはねつけて御所に入り、義輝の前で自殺しました。, 進士晴舎は、三好氏と将軍義輝を繋ぐパイプ役であり、晴舎の死は義輝と三好氏の断交を意味していました。こうして謀反人(むほんにん)認定された三好氏は方針を変更、将軍殺しを決意します。, こうして永禄の変が勃発(ぼっぱつ)しますが、フロイス書簡は、義輝の最期を以下のように記述します。, <前略>三好勢は、宮殿に火を掛けるよう命じた。公方(くぼう)(義輝)様が自ら出ようとしたが、その母堂(ぼどう)(慶寿院)は彼に抱きつき引き留めた。彼女は我ら(フロイス等)を大いに歓迎した尊敬すべき老婦人であった。しかし、彼は火と必要に迫られ、家臣とともに出て戦い始めたが、腹に一槍(いっそう)と額(ひたい)に一矢(いっし)、顔に二つの刀傷を受け、その場で果てた。<後略>, フロイス日本史では、義輝は薙刀(なぎなた)を持って奮戦したと書かれていますが、フロイス日本史は、フロイス書簡をリライトしたものであり記述としては、フロイス書簡の方が古いです。記録によると、フロイス書簡の日付は永禄の変の2日後なので、リアルタイムに近いでしょう。, そのリアルタイムの記述では、義輝の死因は腹に一槍と額に一矢、顔に二つの刀傷と、奮戦(ふんせん)の様子はどこにもない淡々(たんたん)としたものです。ちなみに義輝の死体は、戦後に時衆僧侶(じしゅうそうりょ)に回収されて埋葬(まいそう)されているので、義輝の外傷は正確なものである可能性が高いです。時衆は、浄土教の僧侶であると共に金創医(きんそうい)として外科手術(げかしゅじゅつ)をしていた人々なので、義輝の外傷についても正確に調べていたと考えられるからです。, そして、その致命傷(ちめいしょう)を考えるとこれは間違いなく額の矢傷でしょう。義輝は額に矢を受けて、大きく戦闘能力を損ない、たちまち敵兵に顔を二度傷つけられて倒れ、トドメに腹を槍で突かれて絶命したのです。日本外史とは違うリアルながらあっさりした義輝の最期でした。, はじめての三国志は「ゆるく、たのしく、わかりやすく」をコンセプトにした歴史エンタメメディアです。(®登録商標:第5800679号). またネット上では、 向井理降臨 !. 悲劇の剣豪の最期は?. decosara. 今回は足利義輝と明日光秀の関係について書いていきます。. 明智光秀が涙するほどの関係だった?. 9/27(日) 11:56 配信. 2020年大河ドラマ「麒麟がくる」は、nhk総合にて日曜夜8時、bsプレミアムにて午後6時、bs4kにて朝9時に放送中です。 前回のあらすじ 将軍・義輝(向井理さん)に請われ、将軍の後ろ盾となってもらうために尾張の織田信 … 麒麟がくる【足利義輝】向井理ロスの声多数!. 『麒麟がくる』義輝の最期と“美しすぎる天皇”の登場──史実とドラマ、両方で見る室町幕府の失落劇 2020年9月27日 11:00 0 Tweet 明智光秀は文献上接点はないが、麒麟がくることを望む者同士。. 剣豪と評価の足利義輝の最期の死闘がスゴイ!. nhk大河ドラマ『麒麟がくる』(毎週日曜20:00~)の第24回「将軍の器」が20日に放送され、俳優・向井理が演じる将軍・足利義輝の最期が描かれた。 !. と話題騒然となりました!. ですが実際のところ二人の関係はどうだったのでしょうか?. 2020年大河ドラマ【麒麟がくる】のあらすじ(ネタバレ)です! 将軍・足利義輝の頼みによって織田信長を京に連れてくる事になった十兵衛。 織田信長は京へやってくるのでしょうか・・・ で … あまりの美しさに、スタッフさえも惚れ惚れしたとか。. 大河ドラマ「麒麟がくる」では足利義輝は明智光秀の一言で心が動かされ、明智光秀もまた義輝の志に賛同しお互いを信頼し合う仲として描かれています。. 応仁の乱以後、内乱が続き、将軍の権威は失墜していました。 足利義輝の頃に、主に実権を握っていたのは家臣の立場であった三好長慶でした。 1月号, 新製品体験会や専門家によるセミナーなどのイベント、プレゼント企画にご参加・ご応募いただけます。, サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』の公式サイトです。歳を重ねてもアクティブに行動したい知的な高齢者シニア世代=サライ世代の方々に向けたライフスタイル提案と旅・食・人物・歴史・文化・趣味・健康・モノ情報など上質な情報を発信しています。, 向井理演じる将軍義輝の最期の “残念な部分”を指摘せざるを得ない後半戦の“尺が足りない”問題【麒麟がくる 満喫リポート】, 尾張徳川家の殿さまたちを魅了した舶来の品々【秋季特別展 殿さまが好んだヨーロッパ-異国へのまなざし】. 「麒麟がくる」悲劇の将軍・足利義輝を演じる向井理。「武家の棟梁らしく、勇ましく散ることができたら」 2020/09/05 2021年
2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」。 9月20日放送の第24話「将軍の器」放送後の感想まとめ記事です。 視聴者の感想 前回(第23話「義輝、夏の終わりに」)の感想はこちら。 次回・第25話(9月27日)の … 麒麟がくる:向井理“足利義輝”の壮絶死「障子越し」だったワケ 美しさと無様の同居と「生のはかなさ」表現 2020年09月20日 テレビ. nhk大河ドラマ『麒麟がくる』(毎週日曜20:00~)の第24回「将軍の器」が20日に放送され、俳優・向井理が演じる将軍・足利義輝の最期が描かれた。 放送開始以来ネット上を騒がせている 【麒麟がくる】 ですが、2月16日放送第5回には 向井理 さんが演じる「 足利義輝 」が登場しました。. 麒麟がくるで向井理さんが演じる剣豪将軍・足利義輝の壮絶な最期は? 将軍の権威復活のために奔走した人. 2020年8月29日(土)NHK「土曜スタジオパーク」は”麒麟がくる 再開SP”でゲスト向井理さん。. 今回は「足利将軍が自ら兵を率いて出つ陣した」と言われる永禄の変を紹介します。 松永久秀が「悪」と言われる理由にもなった永禄の変。 三好義継が三好家の養子になってからの最大の、事件とも言えます。 その永禄の変を歴史を知らない人でも、わかりやすく解説します。 足利義輝は足利幕府第十三代将軍です。 剣術に長けていてので「 剣豪将軍 」として知られています。 大河ドラマ『 麒麟がくる 』で足利義輝が登場するのですが、演じるのは向井理さん! 向井理さんってことは、足利義輝はかなりのかっこいい将軍様だったのでしょうか。 Copyright © はじめての三国志 All rights reserved. 6. といっても、最期の最期 ... — 【公式】大河ドラマ「麒麟がくる」毎週日曜放送 (@nhk_kirin) December 28, 2020. 剣聖・足利義輝の儚い最期…大河ドラマ『麒麟がくる』の“3分間”に凝縮されたもの . 名古屋おもてなし武将隊の前田慶次氏がnhk大河ドラマ『麒麟がくる』を徹底解説。第24回では将軍・足利善照の命運が遂に尽きる。剣豪将軍の最期をどう描いたのか?